歴史
プラザ合意とは?1985年の円高ショックと為替の歴史
1985年のプラザ合意は為替史上最大の政策介入のひとつです。なぜ行われ、その後の日本経済にどう影響したかを解説します。
プラザ合意の背景
1980年代前半、米国はレーガン政権の財政拡大と高金利政策によってドルが極端に高騰していました。ドル高により米国製品の競争力が低下し、貿易赤字が拡大。特に日本・ドイツからの輸入が急増しました。
1985年9月、G5(米・英・仏・西独・日)の財務大臣・中央銀行総裁がニューヨークのプラザホテルに集まり、「協調してドル安に誘導する」ことで合意しました。これがプラザ合意です。
プラザ合意後の劇的な円高
プラザ合意直前、1ドル=240円程度だったドル円レートは、合意後わずか2年で1ドル=120円台まで急騰(円高)しました。円の価値が2倍になるという前例のない円高が実現したのです。
これは輸出に依存していた日本製造業に大打撃を与え、「円高不況」と呼ばれる景気低迷を招きました。
バブル経済とその後への影響
円高不況に対応するため、日本銀行は金融緩和(低金利政策)を実施しました。これが余剰資金を生み出し、1980年代末のバブル経済(土地・株式の急騰)につながっていきます。
プラザ合意→円高不況→低金利→バブル→崩壊、という連鎖は日本の「失われた30年」の出発点と見ることもできます。為替政策の変更が長期にわたって経済に影響を与えた歴史的事例です。
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